建築詳細図のCADフリーデータを公開しています。


   せらひろ アルバム

倉庫番 プロフィール

瀬良 浩正 (せら ひろまさ)
1952年8月生まれ(写真は2000年のもの)
埼玉県在住です  1級建築士
建築設計(意匠)の仕事が長かった
趣味は 建築・料理・映画鑑賞
尊敬するのは アントニオ・ガウディ
メールアドレス:serahiromasa@yahoo.co.jp

設計について

1980年代から設計製図のデジタル化が急激にすすめられました。
20数年間手書きの図面で仕事に追われていた私も、 ついに仕事が無くなる状況に陥りました。
その頃は、稚拙なCAD図面を横目でフ・フンと眺めているだけの、 完全なアナログ人間でした。
友人のアドバイスもあり、1999年に初めてパソコンのキーに触れ、 フリーソフトのJw-cadに出会ったのです。使いこなすほどに デジタル世界の優位性を実感し、時代の流れを感じざるを得ませんでした。

現在Jw-cadと言えばウインドウズ版を指しますが、その手書き感覚と データの軽さから、私の場合はDOS版を未だに愛用しています。
バージョンアップなど煩わしい更新もないし、古くても機能制限があろうとも使い続けたい道具です。

Jw-cadは、日本が誇れるCADソフトではないかと思っています。 このような道具を開発・提供に尽力して頂いた方々には、本当に感謝いたします。 また、尊敬の念でいっぱいです。

昔から職人は何事も経験と言いますが、腕を磨くには親方の技術を 盗むしかありませんでした。
つまり、お手本が必要なんですね。 私自信もかつて先輩の図面を見ながら、正確に・早く・美しい製図を目指したものです。

フリーソフトで作ったフリーデータです。
建築に携わる技術者の皆さんに、図面作成の手助けとなるデータになれば幸いです。

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人生は川の流れのごとし
とどまることがない
ある時はよどみ
ある時は清々と・・・
そして いつか
海にたどりつく のだ












せらひろの肖像

1952年の写真
生まれて4ヶ月 ようやく首がすわった状態
肝っ玉は、まだすわっていない
この世がどんなものか知る由もない
不安がいっぱい という顔つきとも
いっちょー やったるでー という顔にもとれる










1953年の写真
生まれて14ヶ月頃 一番カワイイ時期
これで一生分の親孝行をしたんだな きっと













1958年の写真
幼稚園に入園 ピカピカです・・・が
ズボンからパンツがはみ出している
本人はまるで気にしていない 撮影者もしかり











1959年の写真
小学校に晴れて入学という日です
当時この地は小学生にも制服がありました
今で言えば国民服のようなデザインです










1962年の写真
小学4年生 10歳の屈託の無い顔をしています
グループで工作(車の製作・・・乳母車を改造)
記念でパチリ 担任の女先生はとてもチャーミングだった








1963年の写真
小学5年生 故郷で最高峰(500mくらい)への遠足
母の作ったオニギリの美味しさといったら・・・
5年生になって初めて級長を経験した






1964年の写真
小学6年生 修学旅行は奈良・京都
東大寺の山門で記念撮影です
神社仏閣めぐりも楽しかったけれど
親元を初めて離れての1泊旅行はとにかく新鮮だった


1965年の写真
中学1年 春の運動会
この歳から運動部(軟式テニス)に所属
本格的な鍛錬の道に入った
先輩の指導は厳しかったが 健康な身体になったと思う














1966年の写真
中学2年 テニスコートにて
学校のテニスコートで先輩と並んでパチリ
ダブルスを組んだ1年先輩のKさんには大変お世話になった
自分がいかに未熟であるか 思い知る1年だった












1967年の写真
中学3年 修学旅行のバスで・・・ガハハ
朝早く列車に乗って東京へ向かった
東京から日光へのバスの中 みんなの笑い声で目が覚めた
お茶目な担任の先生にパチリとやられた











1968年の写真
15歳 全寮制の学校に進学
寮の玄関でパチリ
中学からやってた軟式テニス部に所属
5面もあるテニスコートに圧倒された















1969年の写真
ようやく取れたバイクの免許
バイトで貯金して 90ccのイージーライダー
とにかく冬は寒かった
普通免許を取るまでの便利な足であった















1970年の写真
大阪万博へ家族で出かけた
未来都市の百花繚乱 すさまじい人・人
建築を学ぶ身にとっては良い刺激だった
建築家が夢を語りあえる時代だったんだね













1971年の写真
学校の夏休みを利用して実習に行った
建設現場で実務に触れることができた
ゼネコンの監督さん達は親切に指導してくれ、建築を造る事の面白さと大変さを学んだ










1972年の写真
部活最後の暑い夏の日 東海地区大会に出場する
個人戦で3位 全国大会へは進めなかったが自分を褒めてやりたい
朝からゲームの連続 部員の集合写真ではヘロヘロ状態













1974年の写真
友人と木曽路の旅に出る
中仙道を南木曽から妻籠まで山道を歩いた
馬篭宿で記念撮影
山道でほかの人とすれ違うと
知らない者同士必ずコンニチワと挨拶をする
山のマナーが清々しかった
日本人らしい足の短さ、親からの遺産








1975年の写真
友人とスキー
当時の最先端ファッション
今見るとカッコ悪ぃー
スキーも中途半端だったねぇ
何とか曲がれる程度で おしまい
遊びも仕事も 何だかねー
まあ、適当に楽しんだのかな








1976年の写真
実家の前で
この頃は実家に帰るのが年2回 盆と正月
親の期待を担った長男であるが しょせん核家族
家の歴史に縛られる環境ではなかった
自由な人生は、ある意味親不孝だったかもしれない
しかし、自分なりにできることはやった・・・つもり








1977年の写真
学生の頃お世話になった下宿で正月の集まり
家族的な雰囲気の温かい下宿屋だった
部屋での飲み会後 居候を決め込む奴もいた
いわゆるバンカラ精神にあふれていたような気がする
あこがれの先輩にも影響された
これが青春 今では宝のような思い出です





1978年の写真
結婚したので二人で結婚生活が始まった
・・・あたり前だけど
夏の夜、部屋でビールを飲みホロ酔い気分
甘い生活だけでない事は、新婚早々味わっていたが
人並みな幸せを感じる事も多いのは確かだった
結婚は・・・出会いです








1979年の写真
結婚して2年 子供ができた
仕事もバリバリ ガンバリスト
事務所で施主や業者と打合せ
当時の電話機はゴツくて重かった
親になる責任も重いはず
妻はお腹が重そうだった







1980年の写真
生まれて4ヶ月の息子を抱いている
新しい家族ができ 喜びにあふれた顔です












1981年の写真
2度目の現場常駐監理
1度目は独身で単身赴任
今回は家族3人で異郷の地での生活
何もかもが新鮮で幸福のひととき
現場の面々と東北へ施設見学
十和田湖畔でパチリ









1982年の写真
なぜか動物に好かれるタイプです
イタリアの港町での1コマ
4人でビールを飲んでいたら
どこからかやって来た子猫ちゃんが膝の上に
仕事でとはいえ、初めての海外旅行
ノンビリできて良い経験となった









1983年の写真
会社のサッカーチームメイトと
江戸川のグランドで練習
試合があると1週間身体が痛い年頃になった
運動は日常的にやるべき・・・実感していた












1984年の写真
人生で最高の笑顔(女性写真家に感謝)
夢の島グランドで事務所リーグ戦
勝利の笑顔となったのは幸いだった
この後サッカーをする機会はなくなったので











1985年の写真
会社の人達と山へスキーに
名古屋は山も海も比較的近くに位置していた
物価も東京に比較すれば安く生活し易かった












1986年の写真
家族とお花見
名古屋市内を流れる山崎川は桜の名所
おそろいのトレーナーを着てパチリ












1987年の写真
息子の小学校入学式の日
彼も集団生活・教育の場に放り出される
可愛い子供から脱皮して行くのでしょう














1988年の写真
爽やかな秋 会社の催しがあった
キャンプ場でのバーベキュー大会
息子と参加する 楽しい交流の場でした







1989年の写真
息子の運動会の日
お父さんは仕事
出勤前に息子とパチリ












1990年の写真
飛騨高山の宿で
家内のお母さんと4人
旅行の機会が少なかったお義母さん
良い思い出になった







1991年の写真
自宅の風呂でマッタリ
幼い頃は銭湯通い
風呂に入るのは1日おき
夏は自宅のタライで水浴びだった
身に付いた習慣は恐ろしい 今でも1日おき






1992年の写真
息子の運動会
親子2人3脚は早かった
イッチニ イッチニと息が合う
次の朝 足をつった







1993年の写真
息子の中学入学式
桜が満開
英語の教科も加わります
お父さんは苦労したなー
がんばって克服して欲しいものです






1994年の写真
牡丹(ボタン)園で家内と一休み
立てばシャクヤク 座ればボタン
大きなものは20pもあろうかという花
どんな花でも美しく心が華やぎます
しかしながら花の名前が覚えられない






1995年の写真
ヒゲが似合わない
人相が悪くなって 手配書になりそう
とにかくヒゲを剃れない事情が・・・
酔っぱらって鼻の下に怪我をしてしまった
鼻の下を長くした訳ではありません






1996年の写真
中学のクラス会
友人とロビーで談笑
卒業して30年あまり
昔話に話がはずむ
しばしタイムトラベルといった趣きです






1997年の写真
高速道路のサービスエリア
名古屋と東京を何度も往復
車の利用はこれがメイン
15年乗った愛車も走行距離は15,000km
(少な過ぎる!!)
東京に移住するにあたり引退・廃車と相成った





1998年の写真
コスモス畑の前でパチリ
家人が好きな秋桜
細見の茎ゆえ風にユラユラ
華麗で繊細なようで
実はしたたかな花のようです
ストレスを軽やかにいなす 憧れるなー





1999年の写真
川中島の合戦
ご両人が命を懸けているのに
ノンビリ記念写真
名古屋から車で東京へ
行きは東名高速 帰りは中央自動車道
帰りのサービスエリアにて


2000年の写真
愛知県知立(ちりゅう)市にある無量寺のかきつばた
平安時代の歌人在原業平が
「からころも きつつなれにし つましあれば
はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
と句頭に「かきつばた」の5文字をいれて詠んだそうな
伊勢物語にあるようです
はるばるきぬる2000年 と区切りが良いので
アルバムはこれにて閉じる事とします

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